愛の眼鏡は色ガラス

転写される自意識

夢売る話

ゴウンゴウンと工場のよく分からない駆動音が規則的に聞こえる中、意識を取り戻すと両手と両足が拘束されていることに気がつく。
「ちょwwwwウケるウケるwwウケるから外して!外せ!殺すぞ!外してください!死ね!!」
と叫んでいるとゴウンゴウンが近くなってくる。指先が一本ずつよく分からないゴウンゴウンに飲まれて潰されていく。
「いった!!!これマジで痛い!ウケるwwウケねえよ!ボケ!すいませんでした!この間、コンビニの店員が千円札一枚多く気づいていたのに、言い出さなくてごめんなさい!謝ってんだろ!」
指一本につき、一つの告解が求められているようで、喋るまでギチギチ潰される。とりあえず、悪いなあと思ったことは一通りごめんなさいするけど、結局指が全部潰される。割に元気ではある。
「神様がいない!指が痛い!ファック!ファックミー!」

と叫んだところで起きる。隣に寝ている女性とドラマの再放送のようなセックスをして日常感を取り戻す。
生きているためには、死んでいるように生きている感覚を殺さなくてはならない。
敏感だった神経がドロドロに溶けて、また生活用に鈍化する。日々のための形態だ。

数と看板に頼る人間に対しての嫌悪は、自分がそれを持たないからこその恐怖である。
年収、学歴、良き会社、身長、求めるものことひと。そういった社会性に与せないのも、知っているので、どんどん居場所が無くなるのを感じてる。誰かに虐げられる一方で、誰かを虐げる。何かに齧られつつ、何かを食べてる。マトリョシカみたいに尻尾に一回りでかい魚がくっついて、食い物になるやならずや、させるやさせずや、ギリギリとしたことが社会生活。明日は誰が死んで、誰がニコニコ笑うのか。ひとの犠牲で飯が食える。そんなところに情感が挟まる余地はないので、食事排泄睡眠性交、ストレス無く、間断無く、起伏無く、時間を磨耗する。
例えば、それを愛とか言ってみたり、夢とか将来とかと言い換えてみたり、箱の良いものは目に付きやすく、誰しも重要なのは実質よりもどのようにリファレンスされるかという部分。本の中身より、栞の部分。



はおはおでーなきみ

本屋で見かけた本に昔の後輩のインタビュー記事が載っていて、変わらないような部分とストイックに表現者としてにゃむにゃむやってるプロとしての顔が見えて、ハァ〜凄いもんだって思うと、それはそれ僕ってこんなに年食ったのかーって悲しく思いますね。

何かを出力していかなきゃって思いはあるんですが、なんかそれもどこまで本当のことを考えているんだろうかっても思えて。打算とか承認されてぇ〜!みたいなごく浅瀬で作るものなんかに何も意味無いとは思うんですが、ギラギラするような、アイムハングリー!!!って飢餓感を維持するには、社会生活が枷なんですよね。鰹節みたいに、身と精神を削って、色んなものを削いで削いで、肉と骨がまさに還元されてくくらいのテンションの高め方をして、やっとこさ人様に見ていただけるかどうかってラインに届くようなもんなのに、お仕事なんてしてられないよー!って感じなんすよ。
心身の安定感は日常に必須なわけで、仕事、収入、恋人、食事、睡眠というわけです。そういった要素をわざわざパージして、自分が何を本当は必要としているのかってのを見極めるとこから、僕の創作は始まってんですが、こんなもんしてたらいつか自分が壊れてしまうんですよね。

最近の僕って、すげえつまんなくて、毎日毎日甘やかされて生きていて、ずぶずぶ沼にハマって鈍化に次ぐ鈍化で、ああやべえとか思って、いざ厳しい場に置いてみたら、それはそれでつらいので根をあげますよ。去年は愛がどうこう言ってましたが、あれはまやかしです。結局、そういうダメダメな自分への肯定してほしいって欲求の塊でした。今年もまたずぶずぶつまらなくなりそうです。嫌だけど、どうしようもないですね。とかく、生活には安定が必要なんです。毎日、ぬるぬるな幸せ享受してくしかないっしょ!殺してくれ〜!!!

シアターファッキンテロリスト

他人の言葉がトリガーになって、思考のブレーキが外れっぱなしで、食べて戻して食べて戻してぐるぐるぐるぐるしてしまった一日だった。

年をとって変わったのは、見ないふりが上手くなっただけなんだけど、見ないふりをしていることを指摘されるといつもこうやってひどい自己嫌悪に襲われる。醜悪な自分がどうしようもないけど、そういう醜い自分を承認してほしい、という欲求が一際また不気味だ。気分が悪い。堂々巡りだし、袋小路だし、ずっとずっと抜けられない。ただただ無生産に自分を傷つけているだけなので、こんなことはやめたいのだけど、ブレーキが壊れてぐんぐん速度を増すのが止められない。景色がどんどん放射状に変わるほど、人らしい感傷の中からぷっつりと人らしくない自棄の芽が育って、そんな悩ましい全てなら君を悩ます何かなら、いらないだろって囁いてくる。単純な引き算なのか。快と不快の引き算は分かりやすくて好きだ。ぞくぞくする。ファジーなものが残らない世界には恐れがない。俺の思う理想と平和はそういう味気ない数式と秩序の世界だ。愛も嫌悪も等量等速等価だ。誰か何かに変換可能だ。ファッキンジーザス資本主義の果ては、平穏無事な数列の社会。全ての不足が確実に補完されることを知る。勿論、そんな桃源郷は来ない。

死生の境界線は一度きりだけ誰にでも使える掛け値なしに絶対的な体験と秩序だ。そこには疑問もない。純度100%の真実。ドラッグもセックスも演劇も、小さい死、擬似的な死だ。真実への到達を模写する。どうやってみても贋作だ。紛い物ばかりが身に溜まっていく。
一回性の死、パッケージされて陳列されたものが真実と言えるわけがない。安易な方法に逃げるのは、俺が弱く矮小な人間であるからだ。死ね死ね。これだこの快楽。今日も明日も粗雑な愛撫を繰り返せ。擦り切れて無くなるまで。

虚勢が答えだ。張った虚勢で、己と他人を傷つけろ。人間は、少なく見積もっても俺は不毛な人間だ。

明日はLIVEです。シアターファッキンテロリストっぽくやろうと思います。

酒の細道

9月に書き途中だったブログがあったので、投下します。

はてなブログまで覗きにくる窃視症極まる諸兄にだけは、ここ十日くらいの自分の様子を書きます。

21日:昼から池袋で酒を延々と飲む。気付くと中野でラーメンを食っている。あんまり記憶がないが、返してもらったDVDをどこかに落としてきた。

22日:起きるとどうやら熱があるようで扁桃腺が腫れている、喀血する。携帯を見ると昨晩寝入り端に訳の分からないLINEを多人数に送っていた。自己嫌悪がひどいので、酒を飲んで寝る。

23日:相変わらず具合がまるでよくならず、自己嫌悪がすごい。

24日:会社に行くも仕事にならないくらい具合が悪い。熱は下がったが、思考が煩雑で物を考えられない。予定されていたネットの開通工事の業者が来ない。デパスを飲んで強制的に睡眠をとる。

25日:画面をじっと見ているだけで時間を過ごす。Twitterが開けない。人を見るということは人に見られるということだ。そういえば、12月にイベント出演するとかいう安請け合いをしたのを思い出して不安になってデパスと酒で寝る。

26日:身体が一ミリも動かない。17時間くらい寝る。

27日:気付くと日曜になっている。身体と頭が重いが、多少回復したような気がしたので、献血に行くと肝機能がおかしいことになっていると断られる。夜、外で酒を飲んでいたが家に帰った記憶が無い。

28日:気付くと月曜日になっている。乗り換えの駅毎に吐いて遅刻しつつ出社する。家に帰って、気付くとソファで気絶していた。

29日:昨日すぐ寝たせいか少し具合がいい、かもしれない。相変わらず仕事にならないし、仕事があんまりないので、ISILについて調べていると同僚に怒られる。寝つきが悪いので、デパスを飲んで寝る。あと三錠。

愛してる!愛してる!って言い合うお芝居作ったけど、愛してるって何なんだ。嘘つき!本当のことは言葉にならないよ!
他人の言葉一つで揺らぐふわふわな自己が憎くて憎くて仕方ないと思う反面、思考は所詮文字列、感情は電気信号という冷めた自分もいて、おあー!分裂する!僕の思考は支離滅裂なんだ!整えて!僕を正しく整形してほしい。正しいかたち。正しい発音。正しい順番。正誤に囚われてるのはずっと僕だ。規範の外へ外へという欲求と只管に自己の内省を深化させようという欲求が正反対のベクトルで作動してる。引き千切れそうになりそうなのに、ああこれは自己責任だ。好きで僕は自分で自分と他者を辱めているんだ。全部全部自分に返ってくることなのに。蜘蛛の糸が一本垂れるのをずっと待ってて。そんなのがあるわけないのに、自分以外の妄想には厳しくて。普通に暮らしたいだけなのに!普通ってなんだ!付き合う人間全てをアンダーコントロールしたい欲求がある…俺は他者を人間として見ていないのかもしれない!人間としての尊重が足りてないのかもしれない!嫌だ!みんなのことが好きなのに、俺の矮小な自我が大好きなみんなを辱めている!木偶!俺にとって、俺以外は全て木偶人形なのか!?本当に他人を愛しているのか。愛という言葉に逃げているのではないか。正しいかたちはなんだ。愛してると正しく発音できているのか。俺の人生の順番は正か誤か。誰を優先して、何を切り捨てているんだ。うえーん。

午後の恐竜

大体どこにもリンクを貼ってるわけじゃないのに、更新もないこのブログにぽつぽつと来訪者がいるの、とても不思議だと思うんですけど。

いつもこれを書く時は何かしら漠然とでもいいので、指向性みたいなものを設けてから始めるんですけど、今日はそのぽつぽつ見てる人達に悪いなあというふわふわした感じからスタートしてしまって、まるでフリックが進まないんです。
何かを伝えたいはずなのに、伝えたい何かが分からないし、何処かに帰りたいはずなのに、帰りたい何処かが分からないし。
枯渇?渇望?こういう月並みな言い方をすると胸のあたりがらんどうが、しくしく泣くと大体自分と相手にとって良くない選択肢をとってしまいがちです。
自暴自棄になるのは、本当に悪癖だと思うんですけど、一秒早く一歩も先へで崖を目の前にチキンレースしないとこれまた月並みに生きてるって感じがしなくて、じゃあそれやってる時の自分は生き生きとしてるのかというとそれもまた違くて。
末期癌の患者にモルヒネを与えるみたいに、場当たり的に問題を消化してるわけです。

まぁ嘘ばかり。

本当のことは、努めてこういったところに書けませんし、面と向かっても言えません。本当のことっていうのは、グニャグニャ不定形で、掴もうとしてもするりするりと指の間から逃げてしまって、本当のことがあることは分かるのに、本当のことを伝えることができないんです。

  • 死生は等価でなく、個々人の私的な所有物であった
  • 神の存在はドラッグ体験で得ることできない
  • 人間の視覚は思っているより曖昧にできている
  • 溶けるという視覚体験に、原初と進歩が同時に存在する

深い洞察ができるわけでなく、ただ只管日常に埋れた諸動作の微細なディテールに敏感になる感覚。
鈍感でいること、それ自体は悪ではないんだけど、僕たちが努めて感覚を鈍らせているということは知らなくちゃいけない。

ああ分からない書きたいことが分からない。
零時。

P-zombie

「生きてるのに、死んじゃってるみたいな。生の質感を忘れてしまったって言えばいいのかな。例えば、母さんと昔行ったデパートの屋上で食べたアイスクリームの味は、多分あの時確実に生きている僕の一部分であったと思えるんだよ。でも、最近どんなアイスを食べても何だかその感覚が分からなくなっちゃって。美味しいことも分かるし、その一瞬間は満たされるなって思えるんだけど、からからの土に吸われる水みたいにすぐに何も無くなっちゃうんだよ。あの時食べた方のアイスクリームは、多分家に帰ってお風呂に入って布団で寝かしつけてもらっている時ですら幸せを感じられていたはずなのに、だからこんなのはおかしいんだ。明日、世界が終わっちゃうとして、今日したいことをいくつあげられる?ノストラダムスの予言ってあったじゃん。僕は凄く怖かったんだけど、結局何も起きなくて拍子抜けしてみんな普通に生きているでしょ。もしかしたら、あの時の緊張感と今の倦怠感の落差が、こんなに味気ない気分の原因なのかもって今気付いたんだよ。本当はあの時ちゃんとアンゴルモアの大王はやってきていて、僕らはゆったり絶望と無為の海に沈められているんじゃないのかなって。エリオットの詩でもあったじゃん。『世界の終わりは爆音ではなく、めそめそとやってくる。』っていうやつ。追い焚きの機能が壊された浴槽みたいに、いつの間にか冷たくなって風邪をひかされちゃう。今はまだ暖かいはずって思って、外に出られないああいう閉塞感を感じるよ。人間のトレンドがさ、今前進や開拓よりも自壊や潜行だと思うわけ。今日よりも明日がいい日になるとか、そういう陰がないプロパガンダってもう流行らないじゃん。もうあとは手元のカードをどの順番で切っていって、どんな順位をつけてもらえるかって段階になってるんだよ。ああ…何だか眠たくなってきちゃった。話の続きはまた今度しよう。クリームソーダがある喫茶店がいいよ。」


please, please dr.gallo

2015年はバックトゥザフューチャー2の未来だけど、靴紐を勝手に結ぶ機能付きの靴は発売されてないし、ポケットを裏返しに引っ張り出すトレンドもない。

世の中はぐるぐる回って、回るはずなのに景色が変わるので、これは独楽のように同心円上の回転と基軸自体の移ろいの二点があるせいだと思うのですが、人間の人はどう思いますか。
伸びる髪と爪くらいでしか、日々の蓄積を認識できないのに、今年の五月は例年よりずっと暑いとか、去年一緒にいた人が今は隣にいなかったりとか、確実に同じ季節が同じように過ごせません。
もうこれらはずっと、ずうっと前から僕の憂鬱なのですが、思い返して暗澹とするばかりです。

恋愛と性の話ばかりをする人は、恋愛と性へのコンプレックスが高じて、恋愛と性というコンテクストに喰われた意思無き交感の獣になってしまったのだと思うと、うわあこれは闇だ!ダークネス!人と人の認識の間隙に潜む承認の化物を見た!とガクガクブルブル震えます。
でも、見るのをやめられないのってこれは愛だとも思うし、フリークスフェチみたいなもんよなって感じで、絶対そういう人は更生しないで、その欠損?多肢?不具を愛したり憎んだりしたりされたりして、それを僕は慰めたり罵倒したりして生きたり死んだりしよ!って思うので、安らかにではなく、人生波乱万丈にエンターテイメントしてくれと願うばかり。

実の無いブログばかりだと、あまりにもよくないので、固有名詞を含んだ話題を少し。と思ったんだけど、そういうことはTwitterでやってるし、ここはまぁオフビートな感じで垂れ流していけばいいかなと思いました。