愛の眼鏡は色ガラス

転写される自意識

はおはおでーなきみ

本屋で見かけた本に昔の後輩のインタビュー記事が載っていて、変わらないような部分とストイックに表現者としてにゃむにゃむやってるプロとしての顔が見えて、ハァ〜凄いもんだって思うと、それはそれ僕ってこんなに年食ったのかーって悲しく思いますね。

何かを出力していかなきゃって思いはあるんですが、なんかそれもどこまで本当のことを考えているんだろうかっても思えて。打算とか承認されてぇ〜!みたいなごく浅瀬で作るものなんかに何も意味無いとは思うんですが、ギラギラするような、アイムハングリー!!!って飢餓感を維持するには、社会生活が枷なんですよね。鰹節みたいに、身と精神を削って、色んなものを削いで削いで、肉と骨がまさに還元されてくくらいのテンションの高め方をして、やっとこさ人様に見ていただけるかどうかってラインに届くようなもんなのに、お仕事なんてしてられないよー!って感じなんすよ。
心身の安定感は日常に必須なわけで、仕事、収入、恋人、食事、睡眠というわけです。そういった要素をわざわざパージして、自分が何を本当は必要としているのかってのを見極めるとこから、僕の創作は始まってんですが、こんなもんしてたらいつか自分が壊れてしまうんですよね。

最近の僕って、すげえつまんなくて、毎日毎日甘やかされて生きていて、ずぶずぶ沼にハマって鈍化に次ぐ鈍化で、ああやべえとか思って、いざ厳しい場に置いてみたら、それはそれでつらいので根をあげますよ。去年は愛がどうこう言ってましたが、あれはまやかしです。結局、そういうダメダメな自分への肯定してほしいって欲求の塊でした。今年もまたずぶずぶつまらなくなりそうです。嫌だけど、どうしようもないですね。とかく、生活には安定が必要なんです。毎日、ぬるぬるな幸せ享受してくしかないっしょ!殺してくれ〜!!!