愛の眼鏡は色ガラス

転写される自意識

持ち寄るモノの不合理さ

文化、規範、倫理、規則と我々は沢山のコンテクストを共有しているようで、その個は実際は何も交わらない幻想の中にある。

所属も理解も約束も、指標の一つでしかなく薄氷の上で他人に期待を寄せるだけの至極不安定なもののはずであるというのが持論ですが、それもまた入れ子の様に誰かへの期待と予防線でしかない。

最近、一番嫌いになったかもしれない枕の言葉に「難しく考えないでも〜」というのがあるんですけど、多分これは他者への理解を完全に拒絶するものなので、諸兄私と会話する時は絶対に使っていただきたくないという面持ちです。

 

生活の岐路と気分の記述のために不定期に不真面目に飾り気の無いブログを残してます。

 

人生で初めて新卒採用をしたり、ボーナスが出るような会社に勤めましたが、春先に退職する形になります。

労働集約型の事業を有する会社組織に身を置くパーソナリティの人間と根本的に反りが合わない、ソリ、そりすぎてソリになった🛷

単純に時間と献身を捧げて、足りない賃金の代わりに不定形なやりがいとか気持ちを下賜される事業モデルに心身適合すると、適合してんのかは分かりませんが、ストレスによって攻撃性が内に向く傾向があるのかなと思います。

 

ここ2年くらい、良かれで放った言動行動により損してきたので、せめてサラリーの世界では損益トントンな生活を送りてえなって感じです。

 

まぁ好きな靴履いたり、気分が乗らなかったりしたら海を見に行けるような、そういうのらりくらりで働きたいわけです。

労働から逃げるほどの才覚は無いので、せめて不利なパイだけは食いたくないですね。