愛の眼鏡は色ガラス

転写される自意識

如是我聞

アカウントを消すということが、即ち一個の自意識との決別になるのだと今更になって思い知った。数日前まで、自分であった恣意的な装置が、本当に客体化しているのに驚いた。そう、それはもう最早私ではない私なのだ。如何に私に集約する他人の意識で、私が形作られていたかと思い知った。

なんたる脆弱!なんたる悲劇!
井の中の蛙は大海を知らず、されど空の深さもまた知らず、終ぞ無知蒙昧のまま干上がってしまったといった面持ち。

連関の中で、見出す私が嫌だった。
私が誰かの何かでいることが果てし無く嫌で嫌で仕方ない。
恋人、友人、知人、他人。食事を共にして、会話を為す、褥を共有、性器を交錯させる。
出来の悪い鏡のように、私が他者に映る瞬間過る嘔吐感にずっと苛まれている。

 芸術を享楽する能力がないように思われる。むしろ、読者は、それとちがう。文化の指導者みたいな顔をしている人たちのほうが、何もわからぬ。読者の支持におされて、しぶしぶ、所謂不健康とかいう私(太宰)の作品を、まあ、どうやら力作だろう、くらいに言うだけである。


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最近、何を食べてみても味気ない。