持ち寄るモノの不合理さ
文化、規範、倫理、規則と我々は沢山のコンテクストを共有しているようで、その個は実際は何も交わらない幻想の中にある。
所属も理解も約束も、指標の一つでしかなく薄氷の上で他人に期待を寄せるだけの至極不安定なもののはずであるというのが持論ですが、それもまた入れ子の様に誰かへの期待と予防線でしかない。
最近、一番嫌いになったかもしれない枕の言葉に「難しく考えないでも〜」というのがあるんですけど、多分これは他者への理解を完全に拒絶するものなので、諸兄私と会話する時は絶対に使っていただきたくないという面持ちです。
生活の岐路と気分の記述のために不定期に不真面目に飾り気の無いブログを残してます。
人生で初めて新卒採用をしたり、ボーナスが出るような会社に勤めましたが、春先に退職する形になります。
労働集約型の事業を有する会社組織に身を置くパーソナリティの人間と根本的に反りが合わない、ソリ、そりすぎてソリになった🛷
単純に時間と献身を捧げて、足りない賃金の代わりに不定形なやりがいとか気持ちを下賜される事業モデルに心身適合すると、適合してんのかは分かりませんが、ストレスによって攻撃性が内に向く傾向があるのかなと思います。
ここ2年くらい、良かれで放った言動行動により損してきたので、せめてサラリーの世界では損益トントンな生活を送りてえなって感じです。
まぁ好きな靴履いたり、気分が乗らなかったりしたら海を見に行けるような、そういうのらりくらりで働きたいわけです。
労働から逃げるほどの才覚は無いので、せめて不利なパイだけは食いたくないですね。
幸福は永遠に女だけのものだ
思うことを描くように。
想うことを書くように。
時間の経過が悩ましいと感じることが、ここ最近ちらほらとありました。
誰にとって、経過そのものは等速であり、方向性は一方向しかないので。僕らは不可逆な綱渡りをし続けているのです。
一ヶ月ほど前に、映画との邂逅について、ツイートしたのですが、まぁ想像するに難くなくそれは人との出会いも全てだなと思いました。
最良の関係性を築くためには、最良のタイミングがあるというどうしようない話なんですが、我々はそういう干渉できない大きな流れの中くるくる回る木の葉でしかないのかなと思いました。
抗うことは、確かに無為なことなのかもと泣きながら言う人のことを思って納得しかけたのですが、多分僕は終わることそれ自体に魅力を感じているのかもしれません。
誰かと仲違いしたり、関係性が潰えてしまうことへ鈍感になりすぎたと危機感を覚えた日もあった気がするんですが、そうじゃなくて、壊れることへの愛着が強くあるのでしょう。
終わる事は良いことです。潰えることも良きものです。最良の瞬間と最悪の瞬間が同居するから、物と人と付随する私と貴女が素敵なのでしょう。
怖いな〜って思うこと、まま沢山あるんですが、案外やってみればそれがないと今の私がいなかった全てなわけで。
あ、でもブロンのバカ飲みから痙攣騒ぎだけは19で済ましておいてよかったなと思う、これはマジ。
私達は借り物の言葉しか吐けない獣の群れ
作文することを調理に例えるなら、用意された文脈に沿って読解することは一つ食事に作法の一つなのかもしれない。
所作とはただそれだけでなく、盛られた料理をどう味わうかのガイドラインにも近い感じがしてる。料理の種類に対して、どの出番で味わうか、どの食器を用いて対応していくかというものなので。
それによって、多分感じるものって全然違ってくるかと思うのですが、このテーブルマナーってやつはバックテキストであり文化であり共通言語なので、当然異邦人には全く通用しないわけ。
Twitterに書く140文字ってショートテキストでは、私という文化をそれだけで汲み取るのは難しいし、所作の提示までは至らないことがしばしばなのですが、すげえ沢山の方に物を読まれるという経験はなるほどこういうことかと貴重な経験でした。
寿司にフォークを持参したりする人の事、何かを大勢に提供する時考えなければならないのかもしれません。
私達の感覚器は遠く、地球の裏側から、海底の底、宇宙の果ての方まで、種々様々な媒体を伝わって、知覚しますが、最終的に収まるのは肉と血で編んだ五感を通して狭い脳みその中に止まるわけで。
どこまで行っても、多分自問と自答の反復でしかないのかもしれません。
愛にまで飛躍しませんが、人と理解し合える事は、水中に投げ入れたパソコンの部品達が偶々組み上がる可能性、生命の誕生の奇跡にも劣らない素敵なことかも。
日々、平坦な日常ですが、偶にこういうサプライズと発見があるのは2019年のいいところなのかもって思いました。
print("Hello world!")
日の全て。
一年に一回くらい日記をつけると、日々の成長が見られていいかもしれません。
ビジネスメールの書き方は上手になりましたが、何だか自分の事を思い表すようなことは書けなくなりました。
書きたいけど書けないなって気持ちから、あー書く必要も無く俺は凡百な大衆の1人であるという強い意識、病理に苛まれてこうして社会に自我を溶かしていくもんだっていうアレですね。
髪の毛を切っては伸ばして、切っては伸ばして、日々中途半端なまま生きています。
このまま精神と身体が老衰して、しわしわに、ふにゃふにゃになって、いつの間にか右に倣ったように若者に説教垂れる老人になるのかもしれないのですが、それが進化と適合なのだと思うと、僕もまあ捨てたもんじゃないな、生きる意志強くあるなって思ったりもする。
ラブな事、特に無いです。人を消費しても、罪の意識に苛まれなくなりました。資本主義バンザイみたいな。そうそう、こんな感じでラフに物書いてたっけってすげえ懐かしくもあり、何だか久し振りに自転車乗った時みたいなあの尻が浮くような不慣れな感じもあり。足が地につかないような郷愁感がありますね。
あと何回こうした文章を書くのでしょうか。
あと何回こうした文章を書けるのでしょうか。
サリサリと削れる若い思考が積もって、老いた砂が沈殿して、感性が埋れていくの感じてます。
幸せ、幸せは盲目、幸せは聾唖、目と口と耳が塞がった顔面、呼吸の出来る真っ黒な液体の中でぬくぬくと膝を抱える幸せ。
ああ、幸せだなあ。
非日
日常が不形成なので、トロトロとした毎日。
四肢、感性が溶けてゆくような怠惰を過ごしています。無職、無宿、無為な日々。
指向性がないことはやや怖くもあり、でもそれが自然な気もしました。誰かや何かに囚われなくなる自己は、とてもスライム。
他人の描く何かに対して、そんなんじゃないでしょ世界はって思うこと多いんですが、それが他者の世界なのかとも思えます。
のっぺりとした視界、凹凸無く、ささくれが無い、肌触り滑らかな質感、とても分かりやすい。なぞる線が指し定まったような、そんな川縁で流水で加工されたツルツルした石。
ザラザラよりもツルツルのが、みんな好きだと思いまして、はぇーそんなもんだなと日々の私の怠惰と取って見比べてみました。そうです、みんな指標が欲しい。
明日の予定、日々の仕事、週末誰と過ごすか、恋人とのデート、取っ掛かりがないとズルズル毎日が無くなるだけで、怖い気持ちも分かりました。
誰かになりたくて、何かになりたくて、相対、絶対って定規は大して意味の無いものなのかもしれません。
なのかもしれませんが、なのかもしれないからこそ、そういう瑣末な何かに躓く私は、人間らしくもあり、人間らしくなくもあるんですね。
其は何者か、何物か、問いを質す。正すだけ、糺すだけ、質すだけ、ただすだけの脳。能。のう。
四ヶ月分くらいの下書きが余っていたので、成仏させます。
3/4
偽悪的でありつつ、露悪的である。自分の欠陥を愛しているわけではなくて、そういうものを利用して自傷と多情を繰り返す。頭の中にずっと重石があって、思考の回転を妨げる。場当たり的な行動を取っておいて、そういう自分が嫌いだったり。改善というプロセスが抜け落ちているので、ひたすらPDCで輪転するブッ壊れた人間だ。
3/15「擬似擬似gimmick」
色々なことが上手くならないから、毎日を遊泳とても難儀なことです。
インターネットには真贋を見極める器官がありませんので、嘘とか本当とか分からないままパクパク食べてお腹を壊します。
天井に空が見えないホームから電車に乗りますが、まぁ行き着く先は変わりません。
移り変わってもう3月です。春の装いをしなければ。夜にいい匂いがする。
5/13「或いは、ヒトの事」
最近、極端に夢見が悪い。一番触れられたくない部分を詰られる内容が続いてる。
6/22
本年も無事、誕生日を迎えまして、また一つ歳を重ねました。
最近はですね、良き倦怠というものを感じています。何も発したくならない、まったりとした死後硬直。心の機微が無い、エコロジーな生活。泣いたり笑ったりせずに、目の前を通り過ぎる色んなものを有りの侭にしておくだけの毎日です。
ハッピーな絶望感というのは、あると思います。
7/5
正しい形。正しい形を強制される。
国民の有り様、恋人達の有り様、社会人の有り様、男性の有り様、エトセトラエトセトラエトセトラ。
言葉の意味、行為の価値、型押しされて右から左に回ってくる真っ新な定規。
選挙に行きましょう。愛のある生活。労働の義務。ペニスの大きさ。エトセトラエトセトラエトセトラエトセトラエトセトラ。
毎日やべえ〜!!情報を得れば得るほどに募る厭世観。俺は正しいはずなんだよな、俺の中では。俺の尺度の中では、俺が基準値、俺中央値とってる、俺普遍の俺スタンダードなので、皆々様にも俺印の苦痛を味わっていただきたいし、俺だけが辛いわけじゃないって共感してもらいたい。
最近、タロット占いで一財築きたいなと思って、よくツイキャスで知らん人を占って練習やってるんですけど、意外とみんな似たような事に悩んでいて、背中の一押しが欲しくて仕方ないんだなと気付きました。人間は添ってあげるだけでも、充分癒されると思うので、諸氏は大切な人に同意と肯定を存分に振舞ってやるといいと思いますが。
俺もプロブロガーとして口に糊してえ〜!年4回くらいしか書けねえ〜。